2017年1月1日

初夢はいつ見る夢が初夢か?年越し?元旦?1月2日?初夢の風習と縁起

2017年・元旦、あけましておめでとうございます

今年の始まりに正月三が日を寝正月として過ごす老若男女は少なくありません。その寝正月のなかで、今年の運勢を占うという日本の風習が「初夢」。

この初夢、一体いつ見る夢が初夢なのか、というポイントを知らない方が少なくありません。

いつ見る夢初夢とするのか?縁起の良い初夢とは?

初夢風習と縁起について紐解いていきましょう。

初夢はいつ見る夢が初夢か?

三省堂の国語辞典・新辞林によれば、初夢とは、その年最初に見る夢。元日の夜または 1月2日の夜に見る夢、とされています。

実は、このいつ見る夢が初夢なのか?という問題、「元日に見る夢」「1月2日に見る夢」「新年を過ごして最初に見る夢」の3つの説があり、これと定まった作法があるわけではないのです。

現代においては、新年に物事が動き出す1月2日を「新年のはじまり」とする考え方から、1月2日に見る夢を初夢とするのが一般的なようです。

では、この初夢の文化は、一体いつごろから成立したのでしょうか?

歴史上で初夢の風習が登場する最古の文献「山歌集」

日本の歴史の中で、「初夢」という考え方が最初に登場しているのが、平安末期、歌僧・西行法師の歌集「山歌集」です。

平安から室町時代の頃には、夢を食べる中国の妖怪「獏(ばく)」の伝聞が中国から伝わっており、人が寝静まったころ枕元に立って悪夢を食べてくれる、という考えから、枕元に漠の姿を書いた絵を置くといった文化が生まれました。

古来の人々は、自分が見る夢を未来を占う大切なものと考え、悪い夢は漠に食べてもらい、良い夢をみれるように、という願掛けを行う風習が生まれていったのです。

「漠(ばく)」を描いた絵札は当時の高家や商家などを中心に縁起物として飛ぶように売れていき、いつしか貴族や高家のみにとどまらない庶民文化としても広がっていくようになりました。

日本の歴史上に見る、夢による縁起と占われる未来

日本書紀によると、崇神天皇が、自身の皇子である2人の青年が見る夢によって、後継者をどちらの息子にするかを決定した、という記述があります。

また、源平時代の左大臣・藤原兼実の日記「玉葉」によると、一度はお告げと占いによって決定した皇嗣が、夢のお告げによって覆ったという出来事が描かれています。

この他、浄土宗の開祖である親鸞も「夢のお告げ」について述べており、夢による啓示や示唆について、日本の人々が畏敬を払って扱っていたことがよくわかります。

1月2日の夜から3日にかけて見る夢を初夢と呼ぶ

こうした「漠」や「夢」に対する文化と考え方が、江戸時代までにかけて成熟していき、年初めの縁起物・初夢の文化として形となっていきます。

それまで「新年の始まり」を中国文化と同じく、節分から立春の頃と考えていた日本では、長らく節分から立春にかけての夜に見る夢が初夢であるとされていました。

江戸時代のはじめごろには、こうした「夢」に対する日本の文化風習が一定の形式をみせはじめ、江戸時代の中期には、「仕事始め」とされる1月2日に見る夢が、新年で最初に見る夢であり、初夢である、という考え方が一般的になりました。

なぜ、元旦や1月1日に見る夢は初夢ではないのか?

初夢とは、1月2日の夜から3日にかけて見る夢なのですが、あくまで「一般的には」という1つの説であり、必ずしもこの日に見る夢のみを指すものではありません。

そもそも、この「1月2日初夢説」についても、元日・元旦・正月の風習が形成されていくなかで「行事が多くてバタバタする年越しや元旦に見る夢、というのも忙しくてかなわない」といった江戸庶民の知恵から生まれたものなのでしょう。

大晦日~1月1日については、共通して「前年の延長である」という考え方が多く見られますが、1月1日に目覚めて以降を新年とする場合もあれば、逆に1月3日まで夢を見なかった、ということもあります。

基本的には、1月2日の夜から3日にかけて見る夢が初夢とされますが、粋でいなせのおおらかな江戸っ子に習うのであれば、「(行事に忙しい元旦を除いて)1月2日以降に初めて見た夢が初夢である。」というのが本当のところだと言えます。

縁起の良い初夢

江戸時代に最も古い富士講組織の一つがあった「駒込富士神社」の周辺に鷹匠屋敷(現在の駒込病院)があり、駒込茄子が名産であったため、当時の縁起物として「駒込は一富士二鷹三茄子」と川柳に詠まれた
(引用・出典:wikipedeia 初夢 - https://goo.gl/3ghKTi )

初夢に関する有名なあのフレーズ「一・富士、二・鷹、三・なすび」。

江戸時代初期に、富士・駒込の商業組合と名産物にあやかって読まれた川柳のなかにも登場し、これ以降、さまざまな文献でもこのキャッチフレーズが定着していることから、江戸時代の初めごろにはすでに縁起物としての格付けが存在していたことがわかります。

初夢でこれら3種の縁起物を用いた理由にはさまざまな説があります。

  • 江戸幕府将軍・徳川家の縁の地でもある駿河国で、高級とされるものの順(富士山、愛鷹山、初物のなす)
  • 徳川家康の好物である富士山、鷹狩り、初物のなすにあやかった説
  • 富士は「ぶじ」、鷹は「たかい」、なすは事を「なす」、という掛け言葉から
  • 日本史上の三大仇討ちの名士にあやかった説(曾我兄弟の仇討ち…富士山の麓、忠臣蔵…浅野家家紋の鷹の羽)、鍵屋の辻の決闘…伊賀名産の茄子)

いずれも、諸説定かではないのですが、初夢の縁起の理由として「徳川家康にあやかった説」「言葉遊びから駄洒落でもじった説」「強い意志と願いで果たされた正義の仇討ちからとった説」の3つが根強いようです。とくに最後の「仇討ち説」は、判官贔屓と愉快痛快な逆転劇が大好物であった江戸っ子の憧れと、かくありたし、という庶民の願いが色濃い説で、筆者個人的に好感を持ちます。

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